震災で壊れなかったもの
こんにちは鋳物たんぞうです。年末年始の雰囲気から成人式が終わり、平時の日常へ移行してゆく1月中旬に阪神淡路大震災の発生日がその経過年数と共に報道されます。甚大な犠牲から防災意識の向上、耐震基準の構築へとつながりました。
倒壊した駅や道路といったインフラにおいて、合意された案件での復興のスピードはすさまじく、日本の建築、土木業界の技術、工程管理能力の高さを実感しました。
突然日常が奪われた人々の体験、地震データの分析、行政の対応等、学ぶべきことは多く決して風化させてはいけません。
震災を風化させてはいけない大義
この「風化させてはいけない」という大義の元、メディアの報道をはじめ様々なイベントが実施されます。小学校では震災ソングの合唱など、運営のご担当者さまは毎年お疲れ様です。
実際のところ倒壊した阪神高速、ビル、炎上する都市の画像は初見でのインパクトは大きく確実に記憶に残りますが、複数回見せられてもあまり気持ちの良いものではありません。また、大人への忖度、合唱が好きな子供の現実の割合を考慮すると、毎年の同じメニューが食傷ぎみとなります。
成長、進歩、少しでも積みあがるといった生産性の要素がなければ自助努力で継続させる事は困難であることが想定されます。
阪神淡路大震災で壊れなかったもの
震災を風化させない大義において、被害、失ったものへの再認識ではなく、逆に壊れなかったものをフィーチャーしその要因・価値を活かす方向性はいかがでしょうか。一つのご提案です。
皆さんは神戸市灘区、東灘区をと聞いて何を連想しますか。全国屈指の進学校である灘高校、灘五郷に代表される酒蔵、パンダのいる王子公園でしょうか。六甲山系の南側に位置するこの都市の街なみにおいて、日常の風景に溶け込む歴史遺産がございます。
皆さんも御影石は聞いた事があるのではないでしょうか。この御影は東灘区の地名、駅名、各学校名でもあります。六甲山系より採出された花崗岩を御影石と呼び、石の呼称において広く認知されております。そう、この御影石で積み上げられた石垣が震災でも壊れなかったものです。
石垣は強度もさることながら、個々の形状が異なる自然の石を積み上げて作り出されるその造形は芸術作品といっても過言ではありません。街の景観と、石垣の植栽による環境と建築物との共存の完成形が既に存在しているのです。
なぜ震災でも崩れず数百年も存在しているのか、その技術、価値を学び現在に活かす事は有益です。地域意識の向上、観光資源への模索等、震災関連イベントのメニューの一つとして石垣の考察を活用できないでしょうか。
震災でも壊れなかったものを探し、その活用を模索する。家族、友人との絆に着地することなども想定されませんか。
御影石とは
灘区、東灘区に積み上げられた御影石の美しい石垣群。全国的にそれほど珍しいものではない花崗岩の事をなぜ御影石と呼ぶのでしょうか。考察してみました。
御影石について/神戸新聞社記事抜粋
ソース:神戸新聞社記事抜粋
マグマが地中深くで固まってできた「花こう岩」の石材名。石英や長石、黒雲母などの鉱物が含まれる。かつて、住吉川上流の石切場から持ち出した石を全国に送る際、御影浜から船に載せたため「御影石」の名が付いた。
- 東灘区で御影石の産出が始まった正確な時期は不明
- 採掘量は享保年間(1716~36年)に全盛期を迎えた
- 御影石は御影浜から船で全国に輸送、京都や大阪の石橋、鳥居、灯籠などに用いられた
- 御影石は鉱物がきめ細やかに入っており表面の風合いも良い
- 六甲山で採れた石材は「本御影石」として別格
- 1956年に六甲山が国立公園の一部になり、採掘ができなくなった
- 現在六甲山系で採掘はできず、宅地造成や自然崩落などでしか手に入らない
なぜ御影石と呼ぶ さらに深堀り
上記記事からは江戸時代に盛んに御影石の採掘が行われていた印象を受けますが、実際に灘区、東灘区の山麓には大規模な採石場の跡地などは存在しません。廃坑となった鉱山跡地のような観光資源もありません。
また、美しい石垣を構成する一つ一つの御影石も石垣用に加工を施したというより、自然の姿をそのまま利用している印象です。御影石とはいったい何なのでしょうか。
六甲山系地理的考察
六甲山麓の東灘区渦が森台を散策すると、渦が森断層という県指定天然記念物に出会います。そこに設置されている記念碑には下記のように記されております。
■渦ケ森断層:五助橋断層から分岐する副断層で渦ケ森団地の南縁を通る
地殻変動より隆起した花崗岩層は六甲おろしと呼ばれる風にさらされ、風化を伴い崩れ落ち花崗岩石となる。豪雨の度に土石流の発生より急こう配でもある六甲山から流れ出した。
採掘するというより六甲山麓、川の周りにはゴロゴロ花崗岩石が転がっていたと推測できます。神戸という地理上、海へのアクセスも良く大消費地である大阪へ船での出荷が容易であったのではないでしょうか。
そして、東部山麓地区に石垣が多いことからも、山裾、都賀川、高羽川、石屋川、住吉川の近辺の花崗岩石を比較的容易に採取し石垣として利用したのではないでしょうか。当時の物理的な運搬の能力を考慮しても納得できます。
渦が森という地名は独特の気流が発生することから名付けられております。花崗岩層の風化の促進と何らかの関係はあるのでしょうか。
「御影(みかげ)」呼称の由来/沢の井の泉
御影(みかげ)という呼称の由来ですが、現在も阪神電鉄御影駅に「沢の井」という泉があります。
その泉で神功皇后がご自身の姿(御影)を映したことにちなむという伝承があります。
なぜ御影石とよぶ まとめ
- 花崗岩質の六甲山が地殻変動で隆起
- 風化と豪雨を伴い花崗岩石が自然に流出
- 六甲山麓に散在する花崗岩石を建築材料として利用
- 海へのアクセスも良く海運を通じ御影石として各消費地へ広がる(一般呼称化)
- 物流、海運技術の向上より産出地は他エリアに移る
- 建築、他材料としての御影石の呼称は残る
東灘区の墓地には室町時代から存在する地蔵があります。御影石の利用は1000年以上の歴史を持つのではないでしょうか。そして、今も私たちにその魅力を発し続けております。
御影石のふるさと 神戸市東部山麓の石垣
“BE KOBE” 神戸市景観ガイドラインでの石垣の記事
自治体のコピーって面白いですよね、試される大地、1000年のかくれんぼなど様々な洗練されたコピーが展開されております。BE KOBEの秀逸なコピーを掲げる神戸市、さすがです、市の景観のガイドラインに石垣への記載記事がありましたので是非ご覧ください。
参考資料ダウンロード/神戸市「残したいまち守りたい風景」景観ガイドライン
様々な石垣を見てきましたが東神戸地区の石垣の造形美は一見に値します。石垣側面の凹凸を極力少なく美しい配列で仕上げる技は圧巻です。重機も測量機材もない時代に震災を経ても存在する石垣を積み上げた名もなき職人たちへ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。下記参考画像を紹介致します。
灘区山麓線沿いエリア
東灘区御影エリア
灘区厳島神社 福石
岩の裂け目から蔦が這う福石が祀られております。平清盛が平盛継に命じて討ち取った、頭に珠を担ぐ大蛇の首を埋め、その上に置いた石であると言われています。
灘区おすすめランチスポット
- レストラン山猫軒(洋食)
- 四川(中華)
- 神戸屋レストラン御影店(パン・洋食)
いかがでしょうか、絶妙な傾斜と共に積み上げられた石垣、直線のみならず曲線での美しさ、多様な形状、経年変化により美しさを増す、その価値は枚挙にいとまがありません。また、石垣構築により個々の土地が固められ、結果全体的に強固な地盤エリアが形成されたとも推測されます。
石垣には限られたリソース、建設の難度、費用の問題等ある事は理解できます。せめて、既存の石垣だけでも壊さずに活用する策を模索する事を切に願います。逆に、数百年も存在する石垣を簡単に壊すなんて正気の沙汰でしょうか。
石垣最高、ああ、日陰の石垣を背景に万年青を並べる、あるいは石垣の階段サイドに万年青を地植え。想像しただけで鼻血が出そうと思っていたら出会いました。
何に出会ったかって?
もちろん、万年青だよう⤴
万年青のある風景/マンション植栽
万年青は日陰での耐性が強いという生存戦略上、あまり競合のいない場所で群生しております。しかしながら都市では勝手が違うようです。マンション植栽の管理者が植えたのか、品種は分かりませんが競合となる植物と場所を争っているようです。無論、植物なので武器も核の抑止力も持ちません。ただ、どちらがその場により適した存在なのかで勝負は決まるようです。
万年青のある風景にて一句
雑草も生えない北側の日の当たらない場所でも生存競争は存在します。そこでたくましく根を張る万年青を発見しました。
ご拝読ありがとうございました。