みなさまこんにちは、鋳物たんぞうです。
余計なことなど考える暇もなく何かに没頭している、あるいは緊急事態からとにかく問題の解決へ向け行動せざるを得ない状況は、人間が生活を営む上で健全な姿なのかもしれません。
そもそも身近にある自然の営みに目を向けると、日々少しずつ変化し、いとも容易く生死が存在します。我々の社会基盤はそのような自然界の不安定さ、無常さから必死で安定を模索する生存戦略である事は理解できますが、自然界の大前提が無常で確実に変化するものである以上、かりそめの安定を手にしたところで常に迷いや不安が発生することは当然のことなのかもしれません。
とりわけ多くの時間を費やす仕事、働くことに関して、我々は様々な節目で葛藤や迷いが生じます。失敗、運、不運も含め試行錯誤し行動していく事は健全な姿だと思います。
私自身も迷いや不安の中、仕事の選択、働く事に関して所感した事をシェアしたく本記事を投稿致します。
仕事とは、働くとは
仕事とは:社会に空いた穴/養老孟司さんの見解
医学博士で解剖学者の養老孟司さんの見解をご紹介致します。氏は医学博士という誰もが認めるハイスペックにありながら、スポットライトを浴びる最先端の医師、外科医ではなく解剖学者の道を選択しております。その理由はしゃべらない死体の解剖であれば患者が死ぬ責任はない、煩わしい人間関係を排除し黙々と自分のペースで仕事が出来るからだったそうです。ブラックジャックに影響され医者になったという美談とは対照的に、ハイスペックな人からいきなり親近感のわく人へイメージが変わります。
マイペースに仕事ができるといった養老氏の想定(妄想)とは違い、実際、死人は時間を選んでくれません、365日24h常に発生する死体へ対応する仕事でした。そして、自身が選択した解剖の仕事に真摯に取り組み得た仕事観が参考になります。
仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。
そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気(しんき)臭いことをやらなきゃいけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料がもらえた。それは社会が大学を通して給料を私にくれたわけです。
『超バカの壁』養老孟司
「仕事とは社会に空いた穴を埋めていくもの」この見解はニーズを発見し解決する事、職業に貴賤などない事にもつながります。これが本質の一部であるならば、他人から見て立派な職業観などナンセンスです。まずは社会にあいた穴をひたすら埋めて、自分自身の可能性や適性を模索する事があるべき姿なのかもしれません。
働くとは:発言権を得る事
仕事、職業観に関してビッグネームを引用させて頂きましたが、もう一つの概念「働くとは」に関して自分自身の経験上の所感をご紹介致します。
私は20代のころ勤務していたメーカーの新規販売代理店の立ち上げの為、地方都市へ出向しました。これも会社のシェア空白地という穴を埋める仕事ですね。期限付きとは言え都市型の市場からの移動に当初はモチベーションが上がらなかった事は事実ですが、真摯に向き合ったそこでの仕事は何事にも代えがたい貴重な経験となりました。
出向先の販売代理店では商品の配送を個人事業者に複数外注しており、彼らは持ち込みの750トラックで配送を請け負っておりました。私の業務は製品を現場まで届け、施工されて完結する為、彼らとの協働は不可欠です。その協力業者の一人のSさんと親しくなりました。Sさんは目つきも悪く、言葉もたどたどしく、ぶっきらぼう、一見関わりたくない人のように思えましたが、家庭を持ち奥様とは言いたいことを言い合って、まだ小さな娘さんをかわいがっておりました。そのSさんと配送に同行している際、当時20代半ばの私に問いかけました。「たんぞうはなんの為に働いている?」
私は営業職でもあり、常に相手の背景(ground)から最適解を模索するクセがついてしまっており、以前Sさんのご家族と飲みに行った時の事を思い出し、家庭を守る事の意義などを伝えたいのかなと想定し、「やっぱ、生活の為ですかね~」とありきたりな置きにいった回答をしました。本来の私であれば「世界征服の為」「僕のゴーストがそうしろとささやくからです」「地元湘南(ウソ)に錦を飾る為」「僕、実はCIAのエージェントなんすよ」などナンセンスな会話を楽しみたいタイプです。
Sさんは私のありきたりな「仕事は生活の為」の回答に対し、「いや、たんぞう、働くっちゅうのは発言権を得る事だぞ 働かないやつが何言ってもなんも聞いてくれないぞ」という意外な回答でした。なんでも、過去にSさんは地元から都会に出たものの、あまり上手くいかず何も考えないまま犯罪にからみ、刑務所に入っていたそうです。
刑務所で服役中にSさんがたどり着いた「働くことは発言権を得る事」は非常に参考になる価値観です。働くことは賃金をもうことがすべてではありません。家事、育児、ボランティア、身内の介護、等、生産性や関連する人との互恵関係の構築に取り組む(働くこと)は発言権を獲得出来るのです。そして、その発言権は信頼関係につながり報酬へと展開されていきます。
望んだ場所じゃなくても、たまたまたどり着いた場所でも、ただ真摯に働いていれば発言権が発生し新たな展開、ひょっとすると繁栄へつながる。「Sさん、シンプルなことですよね」あの頃を思い出しながら歩いていると出会いました。
何に出会たかって?
もちろん万年青だよう⤴
ずいぶん前置きが長くなり、誠に申し訳ございません。また、付き合って頂き誠にありがとうございます。
万年青のある風景/裏路地
繁栄する家は風水も配慮し万年青を配置
古典園芸品種として400年近い歴史をもつ万年青は縁起物としても親しまれてきました。浄化させる力や邪気払い、運気を上げる等の言い伝えからも風水効果の高い植物です。以前、神社のトイレ脇に万年青が植えられており、トイレ周りを浄化させる「雪隠万年青」を見ました。万年青には鹿も食べない毒があり周りの不浄なモノを取り込むイメージと合致したのかなとふと思いました。
一方通行の坂道の途中の民家の玄関口の万年青です。の5連発。名家は些細なことにも気を配り繁栄してきた歴史があるのでしょう。風水的な配置にも、万年青の生育環境もパーフェクト。厳寒の2月の午前の日差しを浴び輝く万年青です。
【名家玄関先の万年青のポイント】
- 鬼門と呼ばれる北東の方角
- 午前の日光しか入らない裏路地
- 生子輪鉢
- 根回りは別の常緑山野草と共生
万年青のある風景をみて一句
インバウンドの外国人観光客など絶対に来ない裏路地にて、家主の思いに答えるように北東の位置でひときわ葉を増殖する万年青を見つけました。
ご拝読ありがとうございました。
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